1-4 ソフケンフレーム誕生秘話
逆転の発想で
パネルの常識を変えた!
前開きフレーム
(Amazonで購入したパネルを前にして)
パチッ!と開く、パチッ!と閉じる。この前開きのフレーム、最初さわったときに、とっても感動したんです。何て便利なんだー!と。
みなさん、あっ!と驚かれるんですよ。最初どうやって開くのかわからなくて。
前から開くことができる画期的なフレーム、それがソフケンフレームです。
私は、美術大学に進んだので、パネルやフレームになじみがあります。
当時は、ねじ回しで組み立てていた記憶があります。小さいネジをひとつひとつ外したり、また、止めたり。ポロっと落ちるじゃないですか?で、必ず1個くらい、どこかにいっちゃって。あれ困るんですよね(笑)。
だからネジを使ってない道具いらずのこの仕組みには、ビックリしました。
もう30年、販売しているのに、まだまだこの便利さを知らない人がいるんです。世界は広いですね(笑)。
私も知ったのは、最近です(笑)。そして知って感動しました!
ところで、そもそも「フレーム」という品物に着目した理由とは?
まず、フレームの構造に必要な「継ぎ手」が、自分のライフワークのテーマにマッチしていたんです。それに面白かったから。
会社を創業するときの定款(ていかん=法人の目的や、業務内容をさだめたもの)にも継ぎ手の開発を挙げています。「ものをつなぐ」とは、機能や、形状、異なる材質、あるいは思想……すべてのものをつなぐ、を意図しています。そこには永遠のテーマがあると思ってました。
ソフケンのフレームは、どの部分が特許なのですか?
「隣り合う2本のフレームを搖動(ようどう=ゆれうごくこと)状態に連結した額縁」であることと、「前から作品の出し入れができる」ことですね。
やはり、この前開きの構造が特許なんですね!どうやってひらめいたのですか?
特許事務所と組んでいろいろな会社の製品開発に取り組んでいたんです。その中には、スライドするフレームというものがありました。額縁というのは、4本のフレームをつないで作るのですが、私は、特に継ぎ手の構造に着目して研究していたんです。 そんな中「フレームに力を加えると、継ぎ手から外れてしまう事故」がおこりました。なぜだろうと繰り返し事故現象を再現したそのとき「これは!」と前開きの構造がひらめいたのです。
来ましたね!ピカッと。失敗は成功の母、なんですね!
いや、ここからが大変な苦労でした。難しかったのは「継ぎ手」の部分、フレームを四隅で受けるプラスチックのコーナー部品です。この部品がオリジナルであり、最も重要なパーツでした。いくつも試作を重ねました。
試作から製品化までは、どんな道のりだったのでしょう?
試作品を研究しているころ、パネルを探している大手の会社に呼ばれたんです。そこの担当役員が話すわけ。世界中探したけれど、自分が求めている前開きのフレームを見つけることができなかったと。そこでこちらもいろいろと提案しました。 前開きは見せたくなかったのでそれ以外のデザインで(笑)。でもみな違うと言うので根負けして前開きのを見せたら、これだ!というんです。こういうフレームを探していたんだと。
世界中探しても見つからなかったフレームを、社長が開発していた!
このフレームはおそらく世界で5本の指に入るデザインだろう、と、彼は言ってくれたんです。
機能とデザインが、高く評価されたのですね! すぐに商品化できたのですか?
いえ、試作から製品化まで、この継ぎ手のパーツ開発に時間がかかりました。最も重要な継ぎ手の量産が、課題でした。結局、優れた金型屋さんと巡り合うことができまして、やっと満足できる完成品ができたんです。まだCADもない時代ですから、金型屋さんの設計、成形技術が重要だったんですね。
金型って高いんですか?
ひとつ作ったら100万円を超える費用がかかるんですよ。うまくいかなかったらもう、くず鉄ですよ。髪の毛1本の違いで結果が変わってしまうんです。金型をいくつもダメにしました。
何がダメだったのですか?
パチン!です。あの、フレームを開け閉めした時のパチッパチッという感触。それがうまくいかないんです。あのパチン!がソフケンフレームの命、なんですよね。 プラコーナーの改善は今も続いています。これはもうソフケン永遠のテーマですね。
パーフェクトな継ぎ手を開発できたから、前開きのフレームが完成したんですね。そのヒラメキが、大勢の人の喜びにつながっているんですね。便利なフレームを開発してくださって、ありがとうございます!
引き続き「1-5 世界が認めた特許ソフケンフレーム」をご覧ください。